こんなご時世でも、季節はちゃんと巡ってくる。改めて自然の素晴らしさを感じながら、春になると思い出すことがある。バンクーバーに移住してきて初めての春、桜にびっくり。まさかバンクーバーでお花見ができるとは夢にも・・・、いたく感動した。
ここバンクーバーの桜は古い歴史があり、1930年代に日本から寄贈されたのが最初とのこと。その後も日加友好のシンボルとして、いろいろな場所に植樹され、今ではバンクーバーには桜の名所がたくさんあり、とてもウレシイ。
でも、困った思い出も。桜の「書き方」である。この時期になると 卒業生たちにこんなメールを、「やっと春到来。教室から見えるサクラも咲き始めたよ」など。すると、ある上級者からこんな返信がきた。「先生、どうして『サクラ』とカタカナで書きますか、カタカナは外来語を書きますね。ひらがなのほうが、でも私は『桜』の漢字知っています」である。
うーん、困ってしまった。ついうっかり「サクラ」とカタカナで書いてしまった。コーヒーやビールなどの外来語はカタカナで書きなさい、と教えている日本語教師としては大失敗。
実は、日本の友へのメールには「バンクーバーのサクラ」と意識的にカタカナで書いている。これは「日本の桜」ではなく、「外国のサクラ」をアピールしたいからで、日本人であれば何となく感じてもらえると思う。ちょうど、広島をカタカナで「ヒロシマ」と書くと、何となく被爆の都市をイメージする人が多いのでは。確かに個人差もあろうが、「ひろしま」と「ヒロシマ」とでは受ける感じが異なる。でもそんなこと日本語学習者にはとても難しい。
さて、この「カタカナ書き」だが、最近は若者を中心にかなり流行っているようである。特にSNSやメールのやり取りでは、なるべく実際の会話に近づけたい思いから、工夫を凝らし、絵文字やマークと同じようにカタカナ書きもよく見かける。シニアである我が輩も負けずに使い始めた。特に名詞や形容詞などをカタカナで書くと、確かにその語意をなにげに強めたり、ちょっとおどけた雰囲気を出すのになかなか効果的でオモシロイ。
バンクーバーのサクラ、すごくキレイ。でも桜を見ながらおサケが飲めないのはサミシ―。