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Tag: 外から見る日本語

連載コラム「外から見る日本語」矢野修三さんインタビュー

253 ☆ 「凸凹」と「凹凸」の読み方は ?

    さわやかな青空が広がって、これぞバンクーバーの夏。いろいろ楽しまねば。先ずは、コロナによる運動不足を解消すべく、ハイキングや歩こう会などに張り切って参加している。  先日も同世代の友人とバスに乗らず歩くことに・・・、ぺちゃくちゃしゃべりながら歩き始めた。途中道路工事の場所があり、でこぼこしている。友が思わず躓いて転びそうになった。何とか持ちこたえて、事なきを得たが、我らシニアにはよくあることで、足元に注意。特にでこぼこ道では「上を向いて歩こう」ではなく、「下を向いて歩こう」が大事である。  コーヒーショップに入り、一休み。「凸」「凹」の漢字が話題になり、日本語教師としての経験談をしゃべり始めた。大部分の生徒はこの「凸・凹」を見たとき、記号だと思ってしまう。でも漢字だと教えるとびっくり。確かに、形からして漢字らしくなく、日本人にもあまり馴染みがないが、ちゃんとした漢字で、しかも常用漢字である。  次に、漢字だと分かると、当然「読み方は? 画数は? 書き順は?」の先生いじめの質問が待っている。うーん、「凸」「凹」は教師泣かせの漢字なり。  読み方だが、「凸」は「トツ」が音読みで「でこ」が訓読み。「凹」は「オウ」が音読み、「ぼこ」が訓読み。さらに、画数などは考えたこともなく、「もちろん一画だよ」の冗談も言いたいところだが、両方とも五画とのこと。興味のある方はぜひ書き順もお調べくだされ。驚くこと間違いなし。  そして「凸凹」と「凹凸」の読み方だが、「凸凹」が訓読みの「でこぼこ」で、「凹凸」は音読みの「おうとつ」が一応ルールである。でもなぜか、訓読みの「でこ」と「ぼこ」は常用漢字の読みには入っておらず、公文書や新聞などでは「でこぼこ」とひらがなで書くことになっている。もちろん、個人のメールなどでは「凸凹」と漢字で書いても問題なし。うーん、ややこしいが、ひらがなの「でこぼこ」のほうに親しみを感じる人が多く、話し言葉として使われている。  一方、「凹凸」(おうとつ)は音読みなので当然漢字表記だが、やはり硬い感じがするので文書などの書き言葉として使う人が多い。すなわち、「でこぼこな道」と「凹凸のある道」の違いである。なるほど。  友人が凹凸(おうとつ)のある道でつまずいたおかげで、コーヒーを飲みながら、長々と話し込んでしまった。本来の目的である「歩く」ことも忘れて・・・、まさに本末転倒である。でも転倒しなかったからラッキーと、冷たくなったコーヒーで乾杯、お開きとした。

連載コラム「外から見る日本語」矢野修三さんインタビュー

252 ☆ 「肉」は ニクらしい ?

 日本語教育において、漢字の導入はなかなか大変である。漢字など見たくもないという生徒も多いが、日本語における漢字の役割は大きく、日本語上級者になるにはある程度の漢字学習は不可欠なり。  まず、生徒はなぜ一つの漢字に読み方がいろいろあるのか疑問に思う。確かに。そこで、漢字は大昔、中国から伝わってきた、と説明し、中国式の読み方「音読み」と日本式の読み方「訓読み」があることを教えると分かりやすい。例えば「犬」は、音読みが「ケン」(カタカナ)で、訓読みが「いぬ」(ひらがな)である。  この「音読み」と「訓読み」は日本人でもややこしい。こんな苦い思い出がある。日本語上級者から「肉汁」の読み方の質問を受け、「にくじる」と答えた。すると彼女は、「先生、それは重箱読みですね」である。何か試された感じがしてびっくりしてしまった。  早速辞書で調べたが、「にくじる」など載っておらず、ナント「にくじゅう」が正式な読み方。うーん、思わずため息。かつて漢字に興味を持つ彼女に「重箱読み」と「湯桶読み」を教えた先生としては誠にお恥ずかしい限り。  確かに漢字の読み方、特に2字熟語は難しい。本来は両方を音読みか訓読みに統一するのが一応ルールだが、「重箱読み」とは重箱(ジュウ+ばこ)のように「音+訓」読みで、格安(カク+やす)など。「湯桶読み」とは湯桶(ゆ+トウ)のように「訓+音」読みで、朝晩(あさ+バン)などである。  でも、もっと恥ずかしいことはこの「肉」の「にく」を「訓読み」だと、ずっと思い込んでいたこと。「ニク」は音読みだと分かり、びっくり。だから「ニクじる」では重箱読みになり、「ニクジュウ」がルール通りの読み方。確かに「肉親」も「ニクおや」ではなく、「ニクシン」。教師として実に情けなく、彼女に深々と頭を下げた。それにしても、この漢字「肉」はニクらしい。  しかし、ルール通りに読むと分かりにくいものも多々ある。前例の「格安」だが、「カクアン」では分からず、重箱読みの「カクやす」なら分かる。これは耳で聞いてもすぐ分かるように、昔の人が考えだした読み方とのこと。すごい知恵。「焼肉」も「ショウニク」では食べたくないが、湯桶読みの「やきニク」なら食べたい。  もしかすると、これらの読み方はその時代、時代の若者言葉だったのでは・・・、そんな思いが頭をかすめた。現に「青春」を訓読みにした「あおはる」が今どきの若者言葉としてはやっているとか。とてもついて行けないが、まさしく「言葉は時代とともに」を感じる。

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251 ☆ 「思っています」は味わい深し・・・ !

 どうやらコロナ騒動も沈静化し、日常生活もコロナ前に戻りつつあり、ホッとしている。海外旅行なども活気づき、先日のあるミーティングで円安も絡んで、日本行きが大いに話題になった、そして日本語上級者からこんな質問が、今年日本に行こうと「思います」と「思っています」はどう違いますか、である。  この「思います」と「思っています」の違いはよく質問される一つ。まずこんな教え方をしている。最初に「私」は「~と思います」を、「友達」は「~と思っています」を使うと、しっかり教える。例文として「私は日本に行こうと思います」であり、「友達は日本に行こうと思っています」である。日本人にはごく当たり前だが、英語では「I」も「My friend」も同じ「think」なので、「友達は日本に行こうと思います」、こんな間違いをしてしまう。でも日本語として大事なルールであり、「私」(第一人称)と「友達」(第三人称)の違いをきちんと教えれば、それほど難しくない。  だが、落とし穴が待っている。上記の質問である。確かに、「私」の場合は「~と思います」も「~と思っています」も両方使える。するとその違いは・・・、生徒はとても気になる。うーん、説明はなかなかやっかいなり。  でも、日本人は何気に、何となく使い分けている。 例えば、後ろに「でも、まだコロナが心配だから、迷っている」などの気持ちを表す文を続ける場合は「今年日本に行こうと思っていますが・・・」を使う人が多いのでは。現に、「思います」はストレートに自分の考えや意見を述べる場合に使うので、友達などの三人称には使えない。一方、「思っています」はいろいろな感情や経験に基づく自分の見解を表わすときに使っている。  事実、「雨が降る」などの自然現象については「あした雨が降ると思います」が自然であり、「あした雨が降ると思っています」は何か入れ込んでいるようで不自然。でも雨が降るか、降らないか、お金でも賭けた場合には感情を込めて、「私はあした雨が降ると思っています」のほうがいい感じ。確かに。なかなか味わい深い。  このように、私の場合の「~と思っています」は何かいろいろな心の動きや感情などを表現したいときなどにふさわしい言い方だと思います。でも、話す内容や話し方などによってもかなり違ってくると思っています。   ある生徒から、先生、彼と別れようと「思います」と「思っています」と、どちらがいいですか・・・。 そんなこと勝手にしなさい。

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250 ☆ 「重み」は深みのある言葉 !

 この「外から見る日本語」も今回で250回を数えました。2001年1月にスタートしたので、今年で22年間。まさかこんなに長く続くとは・・・、信じられない思いです。改めてバンクーバー新報さんに感謝の意を表します。それまでエッセイなど書いたことがなく、締め切り日迫るハラハラ・ドキドキした最初のころを懐かしく思い出しながら、時の流れの「重み」も強く感じています。   さて、この「重み」だが、日本語教師泣かせの言葉である。先ず初級で形容詞を教える。「重い・軽い」「長い・短い」や「暑い・寒い」など。しばらくして、形容詞の名詞化、すなわち「重さ」「長さ」や「暑さ」などを導入する。これは「重い」や「長い」などの「い」を「さ」に変えればいいので、そんなに難しくない。  だが、上級レベルになるともう一つの名詞化である「み」の付いた「重み」が登場してくると日本語教師は大変である。当然、生徒は「長い」「大きい」や「広い」も「重み」と同じように「み」が付くと思ってしまう。でも「長み」や「大きみ」などあらず、まして「広み」などと言ったら女性の名前を想像してしまうかも。いかにも。  しかし、「重み」は使うのに、なぜ「長み」や「広み」は使わないのか。うーん、こんなこと考えたこともなかった。さらに「厚み」はあるのに「暑み」や「熱み」はなく、「うまみ」はあるのに「おいしみ」はない。どうして、と生徒から質問されると困ってしまう。とても説明などできず、無いものは無い。実のところはっきりした決まりなど無いとされている。  でも両方ある「重さ」と「重み」の違い、こんなこと習った記憶はないが、日本人はちゃんと使い分けている。「重さは10kg」のように具体的な程度を表す場合は「重さ」だが、「重みのある言葉」などその人の感覚的な判断の場合には「重み」がしっくりする。「み」が持つ感覚的な判断からできた言葉なのであろう。確かに「み」が付く形容詞はごく限られている。でも、最近は「やばい」の「やばみ」や「うれしい」の「うれしみ」なども若者言葉として使われているようで・・・、言葉は時代とともに、を強く感じる。  開き直ってこんな説明である。「さ」は全ての形容詞にOKだけど、「み」は特別な形容詞だけなので、あまり気にせず、「み」の付いた形容詞に出合ったときに勉強すれば大丈夫。日本人でもややこしいので生徒は大変。温かみのある言葉で励ましたい。  確かに日本語は重みのある言語だが、日本語教師としてはこのような深みにはまらず、高みの見物ができればうれしい限りである。

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249 ☆バンクーバーの桜(さくら・サクラ) はステキ !

 こんなご時世でも、季節はちゃんと巡ってくる。改めて自然の素晴らしさを感じながら、春になると思い出すことがある。バンクーバーに移住してきて初めての春、桜にびっくり。まさかバンクーバーでお花見ができるとは夢にも・・・、いたく感動した。  ここバンクーバーの桜は古い歴史があり、1930年代に日本から寄贈されたのが最初とのこと。その後も日加友好のシンボルとして、いろいろな場所に植樹され、今ではバンクーバーには桜の名所がたくさんあり、とてもウレシイ。  でも、困った思い出も。桜の「書き方」である。この時期になると 卒業生たちにこんなメールを、「やっと春到来。教室から見えるサクラも咲き始めたよ」など。すると、ある上級者からこんな返信がきた。「先生、どうして『サクラ』とカタカナで書きますか、カタカナは外来語を書きますね。ひらがなのほうが、でも私は『桜』の漢字知っています」である。  うーん、困ってしまった。ついうっかり「サクラ」とカタカナで書いてしまった。コーヒーやビールなどの外来語はカタカナで書きなさい、と教えている日本語教師としては大失敗。  実は、日本の友へのメールには「バンクーバーのサクラ」と意識的にカタカナで書いている。これは「日本の桜」ではなく、「外国のサクラ」をアピールしたいからで、日本人であれば何となく感じてもらえると思う。ちょうど、広島をカタカナで「ヒロシマ」と書くと、何となく被爆の都市をイメージする人が多いのでは。確かに個人差もあろうが、「ひろしま」と「ヒロシマ」とでは受ける感じが異なる。でもそんなこと日本語学習者にはとても難しい。  さて、この「カタカナ書き」だが、最近は若者を中心にかなり流行っているようである。特にSNSやメールのやり取りでは、なるべく実際の会話に近づけたい思いから、工夫を凝らし、絵文字やマークと同じようにカタカナ書きもよく見かける。シニアである我が輩も負けずに使い始めた。特に名詞や形容詞などをカタカナで書くと、確かにその語意をなにげに強めたり、ちょっとおどけた雰囲気を出すのになかなか効果的でオモシロイ。  バンクーバーのサクラ、すごくキレイ。でも桜を見ながらおサケが飲めないのはサミシ―。 新渡戸ガーデンの池と桜

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248 ☆「見る」と「観る」の使い分け

 久しぶりに日本語上級者数名と同窓会を行なった。その中の一人、K君は学生時代、選手だったようで、サッカー大好き人間。去年カタールで開かれたワールドカップの話をすると、大はしゃぎ。いろいろな話題に花が咲いた。カナダは決勝トーナメントには出られなかったが、日本は堂々進出。「サムライ ブルー」として、大会を大いに盛り上げた。 そのK君から「テレビにくぎ付けになりました」との発言があり、この表現とても格好いいですね、である。さすが上級者。ところで英語では、と聞くと、日本語のように決まった言い方はないですが、「I was glued to the TV」かな・・・。なるほど、英語もなかなか格好いい!  さらに、こんな質問が、テレビを「見る」と「観る」の違いである。これは上級レベルの生徒からよく受ける質問だが、この違い、漢字の意味が分からないと、確かに難しい。  日本語教育では先ず「見る」を教え、中級で「観」を導入する。「観賞」や「観光」などである。そこで、「見る」は自然に目に、「観る」は意識して目を向けるニュアンスを教えたく、こんな例文を、「見る」は「食事をしながら、テレビを見る」で、「観る」は「じっくりテレビドラマを観る」、である。我々日本人は何となく身についているので、劇場での芝居や映画などはやはり「観る」のほうがふさわしいと感じる人が多いのでは。  でも、ややこしいことが、もちろん「見」も「観」も常用漢字(国が定めた、よく使われる漢字)であるが、なぜか「観」は音読み(中国式読み方)の「カン」だけで、訓読み(日本式読み方)の「み(る)」は入っておらず、不思議である。常用外なので、公式な文書に「映画を観る」はダメ。もちろん、個人のメールやブログなどには全く問題ないのだが・・・。日本語教師としても説明に困る。ぜひ「観」の訓読み「み(る)」も常用内に入れてもらいたい。  軽く一杯飲みながら、こんな話をしていたら、大事なシュートの場面を見逃してしまったんですが、この場合は「見逃した」よりは「観逃した」のほうがいいですね。すると他の生徒も、美しい女性に「見とれた」よりも、じっと見ていたので、「観とれた」のほうが・・・。うーん、いかにも上級者ならではの鋭くておもろい発想。びっくりである。  最後に、将来W杯の決勝戦で日本とカナダが戦うことになったら、どっちを応援するか、と意地悪な質問をしたら、そんなこと「朝日が西から出る」くらいあり得ないと・・・、軽く、見事にかわされてしまった。「You got me.」(参った)。サッカーのおかげで大いに盛り上がり、教師冥利に尽きる思いのひと時であった。 

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