4日前に10日間の短い日本旅行から帰って来た。数少なくなった私の年寄り友達に「さよなら」を言う為の今回の旅だった。
若い人達は知らないかもしれないけれど、1980年代の多くの女性に、力強い女の生き方と、気づきと、刺激を与え続けていた作家の桐島洋子さん。今年、彼女は7月7日に86歳になる。今回、彼女を又、横浜の自宅へ訪ねた。アルツハイマー系認知症にかかっていると言われ、『ペガサスの記憶』と言う本が一家4人の手で出版されたのが2022年の9月。あれからこの7ヶ月の間、3回、私は彼女を訪問した。
会う度に2人で抱き合って再会を喜んだ。桐島洋子先生、彼女はちゃーんと私の事もバンクーバーの事も覚えている。そして、互いに繰り返し、繰り返し、「懐かしいVancouver」の話をする。終わりは彼女が又「バンクーバーに行きたーい。」と言う。
今回の私の日本行きはその洋子先生ともう一人、グランマが18歳の時からの友人「クーニャン」(ニックネーム)。今85歳で大腸がんの手術を2回し、体調がいまいちだというのだ。「6月までもつかもたないか?」と脅かされて、夢中で会いに行った。
このグランマ、今、どこを歩いてもふらふら眩暈、何時も誰かに支えて貰う。杖ではなく自分で歩くのだ。「クーニャン」は鬘をかぶってとても綺麗で美声だった。昔から美しい声で歌い、絵が上手だった。今回、日本で会って何故か、「今年の11月まではお互いに生きていようね」と2人で約束した。とにかく、この桐島洋子先生とクーニャン、他に、私と一緒にどんどん年を取っていく姉弟妹達にも日本で会えたのが嬉しい。
幸い、その他の友人達はまだ若く皆元気だ。皆に会う度に私は元気をもらう。そして、又今回、大好きな、美しい本作りの宏江さん、日本全国100ケ所お寺参りや東海道を日本橋から京都まで「徒歩」旅した敦子さん、更に『帝国ホテルで学んだ無限リピート接客術』という本をバンクーバー滞在中に書いた福本衣李子さん、この3人の猛烈に素敵な笑顔に見送られながら、羽田空港から車いすでグランマは帰路に着いた。有難う。嬉しかったぁ。
私は24時間、娘と息子に付き添われ、空港では車いすに乗っての旅。でもとにかく全て無事、そして、帰って来た。
10日間の滞在中のこと。孫レイナの案内で渋谷へ買い物に行った。外国人が多く、「ここが日本?」。移民の国カナダのバンクーバーと同じだ。多国籍な人々でいっぱい。違いは街中を歩く人数がここバンクーバーよりゴタゴタで猛烈に多い。
グランマは「孫レイナ」につかまり、はぐれない様に一所懸命街を歩いた。緊張に緊張連続の半日。全く楽しくなかった。「でんぐり返しの孫レイナ」は3歳位頃からジムナスティックが好きで、中学修了寸前にモントリオールのシルクドソレイユというサーカスのオーディッションを受け合格、一人カナダへ来た。数百人の受験者中、受かったのはたった7人だった。きっと彼女はずいぶん頑張ったのだろう。
しかし、1年たったらそれをやめて、日本へ帰っていった。日本で高校を終えると、上智大学に入学し、来年もう卒業だという。彼女は面白い事にその「でんぐり返し」で、アルバイトが出来るようになったのだ。何の仕事?その仕事は?それは「でんぐり返し」だ。テレビなどのわき役で、危険な場面ででんぐり返しをして、難を逃れる人の代役をしたり、その他、色々。時給1000円のアルバイトとはくらべものにならない高給がもらえるそうだ。まあ、こうして老婆の世話する優しいレイナだ、「でんぐり返し」でなくても、来年大学を卒業すれば、きっと何かいい仕事を見つけるだろう。心配はしない。
久しぶりの旅から戻り、時差の調整も出来た。そしてまた、今日も終活を続けていく。83歳半。